突然、わき起こった総選挙の騒々しい日々が終わった。普通の有権者はいまだ、なぜ選挙があり、その結果、何が変わったのかと不可解な思いをぬぐえないのではないだろうか。

 

選挙がドラマ化されたのは、その昔、小泉純一郎首相が郵政選挙で、改革に反対するのは守旧派と大見えを切り、「敵味方の合戦」を演出したのが走りだろう。今回は、小池百合子東京都知事がテレビの「ワイドショードラマ」の主役にのぼり詰めた。

 

小池氏の希望の党に排除された民進党候補者が公示直前につくった立憲民主党が、判官びいきを好むこの国の人たちから一定の支持を集めたのも一つのドラマの結果であろう。

 

その時々で勢いのある、追い風にのった候補が勝利をつかむ陰で、地道に政治信条を訴えてきた人たちが浮揚できないのもいまの選挙の現実である。

 

随分前のことになるが、近しい知人が総選挙に出たことがある。政党公認で組織の支援はあったが、親戚の高齢者たちがビラのシール貼りや街頭のビラ配りにかり出されるお決まりの現実が展開された。

 

わたしも、特に支持しているわけでもない政党のジャンパーを着用し街頭で支持を訴えた。候補者が休んでいる間、白手袋をはめ選挙カーで本人を装い助手席で手を振った。

 

候補者と2人で団地の演説に立った。旗と携帯スピーカーを抱えた横で、彼の訴えはなかなかいいと感心した。その場しのぎのパフォーマンスでなく、人として極めてまっとうないい主張だと思った。

 

選挙の結果は惨たんたるものだった。政策の戦いであると表向きはいわれている。だが、有権者はドラマに惑わされない目利きになっているのだろうか。本当に大丈夫なのかな。