もう30年以上も前になった。東京の中野富士見中2年生の少年がいじめで自殺したと報道された。いじめ問題が大きく注目されるきっかけとなった。国の教育の基本方針を審議していた臨時教育審議会も、少年の自殺を取り上げた。

 

少年が死んだことにして、級友が色紙にメッセージをしたためた。「葬式ごっこ」としてセンセーショナルに伝えられた。少年はその後、本当に自殺してしまったのだから、原因と指摘されても仕方がない。

 

少年の自宅を訪れたことがある。息子に先立たれた父親は「葬式ごっこ」の色紙を手にこう話した。「中学校から帰宅するなり色紙を出した。『こんなことされた』と笑顔で話していたんだ。おまえ、人気あるんだなと言ったんだが」。

 

決して勧められない行為ではあるが、少年も、父親も最初は、仲のいい友だち同士の悪ふざけとみていたようだ。色紙は後に、いじめの象徴として語り継がれるようになる。

 

自殺した少年の心の痛みは、おそらく誰も、正確に把握できない。その行為で深く傷ついたのか。人により、状況により変わっていく。親類、友人らを訪ね歩いた。真摯に向かい合った人の答えは「本当のところは分からない」だった。

 

いじめは、いまも深刻な社会問題として取り上げられる。深刻なのはその通りだ。ただ時折、恐喝の類いを「いじめ」とするのには違和感がある。犯罪として扱うべきだろう。言葉のインパクトゆえ、「いじめ」の看板を使ってしまうこともあるのではないか。

 

家庭で過ごす時間が増えたいま、妻の強い言葉に痛みを感じることがある。それは、いじめか、過去の悪行に対する当然の報いか。心に手を当てて、悶々とする日々が続いている。