内戦中のカンボジアの旅は復路に入った。往路では、戦争がなければ豊穣な自然と共に生きることができたはずのこの国の人々の運命を実感した。南部の美しい海岸のまちカンポートからプノンペンへの小さな旅は、普通の人々が味わう恐怖の一端に触れられた。

 

真っ赤なセダンを運転する元政府軍兵士は、途上国の軍人ながら不正を嫌っていた。検問と称して、通過する人々から現金をせびる兵士たちを軽蔑した。彼は軍の給料が支払われず生活のためにやめたが、不正は認めなかった。

 

復路は国道ではなく裏道をたどった。森の中で何度も検問に遭い、同乗するカンボジア人の友人がそのたびに兵士に現金を渡した。小川に架かる小さな橋に差し掛かったときのこと。1人の政府軍兵士に止められ、友人が車内から日本円で数十円程度の「通行料」を出そうとしたその瞬間、運転手は車を急発進させた。

 

車の後方の窓から、兵士が自動小銃AK47を私たちの車に向けて水平に構えたのが見えた。その光景は今でも忘れられない。「止まれ、止まるんだ」と、車内ではカンボジア語と日本語が飛び交った。撃たれると思い覚悟した。

 

後部座席にいた私は、低く身を沈めるのが精いっぱいだった。弾は、この古い車の車体を貫通するだろうと思った。だが幸運にも撃たれることはなかった。後で分かったのだが、たまたま近くにいたフランス人のPKOスタッフが「撃つな」と静止したからだ。

 

運転手の彼は「金をせびる兵士に腹が立った」と後に語った。数十円と引き替えの命となっていたかもしれない。最悪の事態になっていれば、政府軍は「逃げようとしたから狙撃した」と、今で言う自己責任を強調したであろう。