カンボジア南部の森、橋のたもとで検問にあたっていた政府軍兵士は、撃ってこなかった。兵士にしてみれば、停止させた車が急発進して逃げたのである。小金をせびられることに嫌気がさしたこちらの事情など考慮するはずもない。

 

4人が乗った赤いセダンはひたすら走り続けた。

「殺す気か」。

車内では、検問を振り切ってしまった運転手の元兵士が非難され続けた。

小さなまちの食堂で一息ついた。現地の清涼飲料で、からからになったのどをうるおしていると、フランス人のPKOスタッフが後から入ってきた。

 

「無茶するんじゃない。わたしが撃つなと言わなければ、あんたたちはどうなっていたか」。検問場所の近くで休憩していて一部始終を目撃したのだという。あらためて恐怖感がこみ上げてきた。この小太りのフランス人がいたことに感謝しなければならない。

 

旅の同行者のカンボジア人3人は、内戦やポル・ポト派による虐殺、ベトナム軍の侵攻など、激動する時代を生き抜いてきた。生き残るための知恵はあったようだが、多くの死者のことを思うと、運が良かっただけかもしれない。

 

日本から同行した難民男性は、灼熱の大地を歩いてタイに逃れ、難民キャンプから日本に定住した。首都圏の工場で働き、カンボジア人の妻との間に2人の子をもうけた。手にした普通の幸せを、この旅で失っていたかもしれないのだ。

 

夕方、比較的大きなまちの食堂で日本の新聞社やテレビ局の記者たちに偶然会った。観光旅行でカンポートまで行ってきたことを告げると驚いていた。「危険地帯なので取材に入れない場所だが」と現地の様子を問われた。「海も森も美しく、人も穏やかでいい旅だった」とだけ答えた。