トップと広報担当者の関係は難しい。

ワンマン社長であればなおさらのことだ。

「社長にインタビューした原稿の確認を、記者から頼まれることがある。うちは社長に見せませんよ。一度、確認を頼んだら、赤字だらけで戻ってきました。記者に返したら、

『お宅の社長はどうなってるんだ。インタビューで話した内容と違うじゃないか』と、怒り心頭でした」。銀行の広報課長の話である。

 

7年間、IT企業2社で広報業務に就いているA氏が、前職の社長の印象をこう話す。

「非常に気難しい、こだわりの強い人でした。プレスリリース1本を仕上げるのに、社長と10回以上のやりとりをしていました。早くて一週間、ひどいときは一か月もかかりました」。

社外へのメッセージに異常に神経を遣い、形容詞ひとつにも執着していたという。

 

プレスリリース同様、自社に関する報道にも目を光らせる。配信したプレスリリースが記事になることがある。社長が書いて欲しい内容が記載されていないと「この記事はどういうことだ」と、幾度となく社長室に呼び出された。反論はおろか説明も弁解も許される雰囲気ではなかったそうだ。「謝るしかなかった」と、A氏。記者の判断で記事がかかれることを認識しいていないのか。明らかに記事と広告を混同している。

この程度は序の口である。記者発表会で想定外の質問や、気に障る質問が飛び出し、発表会の終了後に叱られたことがある。

「どうして質問内容を、事前に、記者にネゴしないんだ」。

以来、A氏は発表会の前に必ず、電話で記者に打診するようになった。

「こういう発表ですので、できましたら、こういった質問をお願いします」と。

一事が万事である。決算発表会の2週間前くらいからは、発表資料の作成で連日、最終電車での帰宅となり、徹夜仕事もあったという。

 

こういった社長の下で働くには、心身ともに相当タフでないとやりきれない。広報担当者の在職期間は長くて2年、短いと1年以内で会社を離れていった。しかしA氏は、4年間も在籍していた。

「他社の広報担当者と話をしていても、私はかなり特殊な会社にいる、という思いでした。ただ、目的もあり、社長は、根は悪い人ではなかったので・・・・」と理由を説明する。

もう10年以上も前だが、化学メーカーの広報担当役員が、広報担当者の役割をこう説いていた。

「広報担当とは、半身は会社に身を置き、半身は世の中に身を置く。社会の常識と会社の常識を照らし合わす。バランスが大切です。ここぞという時には、トップに苦言を呈する覚悟が必要です」。

 

「裸の王様」と言える勇気があるか。