「クライアントの意見・意向が強く働くきらいがあるので、大手の広告主への取材は、やりずらいものがある」。こう語る記者は、メディアの自己規制を渋々、認めている。

「悔しいですが、不祥事が起きても、大手広告主には手だしできません。会社からの指示で、自己規制せざるを得ない。広告部から止めてほしいとのプレッシャーがかかるケースもある。面倒なので、わざわざ切り込まない」と。

 

社会インフラ系の業界紙にいた記者の場合はこうだ。

「業界を応援する、という位置づけのメディアなので、批判的なことは一切、書かないし、書けない。広告主はもちろん、役所に対するネガティブな内容はご法度。取材先から原稿の確認を求められれば、提示していた。当然、ジャーナリズムは求められていない。情報提供としてのメディアです」。

記事広告と編集記事の差が、ほとんどなかったとのことだ。

 

広告主に囚われず、果敢に挑むメディアもある。

企業不祥事やスキャンダルを取り上げるメディアでの経験がある記者は、メディアの自己規制をどう見ているのか。

「仕方ない、という考えもあるが、自らの首を絞めているのではないか。つまり、メディアとして伝えるべき情報があるのに報道しない。自分たちの立ち位置をおかしくしている。『お金をだしておけば、あのメディアには何も悪いことは書かれない』と思われたら、最悪である」。

メディアが広告で成り立っているのはわかるとしながらも、自己規制すべきではないと強調する。

同氏がいた当時のメディアでは、クライアントの不祥事を掲載する際は、発売前にクラアイアントに対し「こういう記事が出ます」と、事前に伝えていたそうだ。先方からは特にクレームはなかったという。

 

自己規制とは離れるが、週刊誌の経済担当記者から、自身のこんなエピソードを聞いた。

「某大手メーカーの特集記事を組んでいた。無事、原稿も書き上げ、校了も終わり、いざ発売の段になったら、特集記事のタイトルが変わっていた。ネガティブな印象を与えるものになっていた。発売と同時に同社の広報担当者からクレームの電話が入り、私はしばらく同社への出入りが禁止になりました」。

タイトルは編集長の独断で変更された。理由はインパクトを与えたかったからだそうだ。しかし、気の毒なのはA氏である。同社の広報担当者の協力もあり、いい取材ができたのに、蓋を開けたら、とんでもないことになっていたのだから。

 

先月、NHKテレビで、マイケル・サンデル教授の白熱教室「公共放送の未来を考えよう」、という番組が放送されていた。NHKおよび海外公共メディアの制作者による討論会。番組中、サンデル氏が「公共メディアは 自己(自主?)規制すべきか」という問いに対し、全員が「NO」と回答していた。

 

公共メディアと民間メディアの違い。

一般メディアと業界メディアの差。

ジャーナリズムを標榜するメディアとそうでないメディア。

メディアによって使命も違えば、立ち位置も変わる。