取材する側から取材される側へ 広報マンに転職した元記者のはなし

1年前、業界メディアの記者から企業の広報へ転職したH氏がこう語る。

「メディアにいた頃は、プレススリリースをはじめ、企業の情報発信はあまり上手くないと感じていた。

もっとやりようがあると思っていた」。

現在は広報のみならず、社内外に向けたコミュニケーションを推進する仕事に携わっている。

 

取材する側からされる側に立場が逆転した同氏の目には、メディアがどう映っているのか。

 

「記者時代はメディアを過小評価していた。自分の書いた記事が、果たして対象とする読者に読まれているのか正直、わからなかった。メディアなどなくても、情報はいくらでも取れるとも思っていたが、間違っていた」と漏らす。

 

「メディアの価値がよくわかった。仮に月間60~70万のPVを取るオンラインのニュースメディアがあるとする。企業がオウンドメディアを立ち上げ、同じようなPVの数を取ろうとしたら相当な時間がかかる。60~70万のPVを集めるだけでも、メディアとしの存在意義はある」。

 

情報の発信を考えるとやはり、報道機関としてのメディアで取り上げてもらうのが、一番効果があると気づいたという。

 

広報の仕事はどうか。

 

「人選、日程、コメントなど、取材を依頼されたときの社内調整が煩雑だ」。

さらに「記者はひたすら質問をすればいい。こちらは取材は歓迎するが、言いたくないことは言わない。いっぽう、興味深い内容も提供しないといけない。完全に記者と利害が一致しないため、その差分をどう埋めるかが結構、難しい」。

 

記者の経験は活かされているか。

 

「当然、プレスリリースをはじめ、情報発信については役に立っている。情報を収集し、文章化するにしても、インタビューや原稿執筆の経験は非常に活きている。プレスリリースは該当する部門で書き上げるが、広報で文章を校正する。あまり修正しすぎると、担当者が自信をなくすので、やりすぎないように加減している」と、配慮も忘れてない。

 

メディアリレーションはスムーズにできているのだろうか。

 

「知り合いの記者が多いので、コンタクトはやりやすい。彼らも、こちらが無理な売り込みはしてこない、と思っているので、すんなりと会ってもらえる。逆に、ネタの弱いプレスリリースを配信したときなどは、プッシュされるのを記者が嫌がるので、あえてフォローの電話はいれない」。

 

1年が過ぎたが、まだまだやるべきことが山積しているという。

 

「専門メディア以外のリレーション、オウンドメディアの立ち上げ、社内広報の着手、自社の認知度のさらなる向上などなど、課題が多い」と言うその顔は、言葉とは裏腹に、充実感が垣間見える表情であった。

メディアリレーションは営業活動

「多いときは週に2~3回は記者と飲んでましたね」。

 

こう話すのは、2年間、親会社の広報部に籍を置き、昨年、出向から戻ってきたO氏。現在は、グループ会社で広報マネージャーの任にある。まさに“飲ミニュケーション”によるメディアリレーションといったところである。

最近は少ないが、記者と酒を飲むのが広報の仕事として暗に認められていた時代もあった。

 

「記者と良好な関係をつくろうと思えば、大企業の広報担当者は、大なり小なり、日常的に記者との酒席の機会をつくっている。決して悪いことだとは思っていない。個人的に親しくなった記者も何人かいますね」と、あっけらかんとしている。

 

酒を交わす目的の一番は記者と親しくなるためだ。具体的に仕事の話しをすることはなかったという。確かに、酒の席で仕事の話しばかりすると、マイナスの印象を与えかねない。

 

酒席の必要性は、当時の広報部長のことばからも窺い知れる。O氏にこう話したそうだ。

「対外的な広報活動は、営業活動と同じだ」。

 

つまり、メディアリレーションは営業行為ということだ。本人はどう受け止めたのか。

 

「出向に行く前はグループ会社で営業を担当していた。プレスリリースの配信だけが広報の仕事ではない。毎日、足繁く通うわけではないが、メディアに自社のサービスや製品を売り込むのは確かに、営業活動ですね」。

 

接触するメディアはどういったところだったのか。

「新聞、テレビそれとビジネス系メディアなど、経済記者が中心でした」。

 

2年間、密にメディアリレーションを築いてきたO氏には、いまの会社の広報活動が稚拙に感じられるようだ。

「記者の携帯電話に連絡して、この件は書けますかね、程度のことが言える関係をつくらないと、広報パーソンとは言えない」と手厳しい。

 

現在は、以前のように記者と酒を酌み交わすことが、めっきり少なくなったという。

その顔はどこか、物足りないようにも映った。

記者とプレスリリース その弐

日々のニュースを中心に報道するIT系オンラインメディアの編集長E氏。多い日は300本地近い

プレスリリースに対処することもある。どう捌き、どんな尺度で記事として取り上げているのか。

 

「はじめにタイトルなど見て、粗く振り分け、多めに拾っておく。メディアの性格上、企業向けの情報を扱うので、対象となる数はさらに絞り込まれる」。

残ったものは登録し、記者の一任で記事化されていく。

「私は企業名から入っていくことが比較的、多い。そのほうがPVがとれる可能性が経験則的に高いからです」。

 

他のメディア同様やはり、メジャー企業のプレスリリースが優先されるのか。

 

「大企業イコール絶対ではない。中堅・中小でもおもしろいものは扱う。海外のベンチャー企業の

話題も届くため、小さい、無名といっただけでは無視できない」。

 

では、プレスリリースを記事として掲載する基準はどうか。

 

「まず、日本語がきちんとしているのが第一条件」と、端的である。日本語が破綻しているプレスリリースはゴミ箱へ直行となる。

「IT企業のプレスリリースは、わけのわからないものが多い」とも、指摘する。

 

つぎはどんな判断か。

 

「内容が完結に纏まっている。饒舌はよくない。新機能などを簡潔に表現し、補足情報などは下段に納めているのがいい。製品やサービスに直接、関係しない業界情報は不要。CEOや第三者のコメントはまったく価値がないので一切、見ない」と、明快である。

 

次に、広報担当者との関係性は影響するのか。

 

「情報の鮮度、価値、内容など、前提条件が同じプレスリリースだと、面識のある広報担当者がいる企業のものが有利になることはある。ただし、100%ではない」と、正直である。

 

プレスリリース配信後の電話フォローにはどう思っているのか。

 

「念を押すのはわかるが、仕事が中断されるので非常に煩わしい。個人的には、電話をかけてほしくない」。

 

以前にも、プレスリリースに対する記者のコメントを紹介したが、共通点はあるものの、微妙な温度差も感じられる。記者という属人的な職業によるものか。

結局は、メディアの特性、記者の特徴や嗜好をどれだけ多く把握しているかがポイントとなる。

 

つきなみだが、プレスリリースについては、明確でわかりやすい日本語を使い、伝えたいメッセージは最初に語る。補足情報は下段で対応し、関係者のコメントは載せない。

電話のフォローは、時間帯や相手との親密度・距離感などを考慮してコンタクトすればよい。

役に立つPR(広報)代理店とそうでないPR代理店

メディアは、PR代理店にどんな印象をもっているのか。ご紹介する。

 

IT業界を長くウォッチングしている編集長は、好意的である。

「PR代理店にはメディアとの接し方がわかっている人が多いので、助かっている。クライアント企業の広報担当者よりも会社のことを把握していて、メディアへの伝え方を理解している担当者もいるので、ありがたい」。

 

一方キャリアが10年前後の若いIT担当の記者は、ネガティブな話に終始している。

「B to CのIT企業をクライアントにもつPR代理店から、嵐のように電話が掛かってくる。メディアを絞り込まず、手当たり次第にコンタクトをしている雰囲気が伝わってくるので、いい気がしない。愕然とすることがあった。PR会社からメールでプレスリリースが送られてきて、後から電話のフォローがあった。少し気になったので質問したところ、『このプレスリリースは私の担当ではないので、わかりません』と言われた。嘘でもいいから「確認します」くらいの対応はしてほしかった。テーマもなくトップインタビューを打診してくるPR会社もある。クライアントとのコミュニケーションがきちんと交わされていない印象で、営業的な色合いが強く、前向きに話を聞けない」。

 

ビジネス系メディアの編集長は少々、物足りない様子で、こう語る。

「PR代理店はあったほうがいいが、クライアントの情報をどう魅力的に発信すべきかという戦略を、練るべきである。コラムが書きやすいように情報発信をするなどの工夫があると重宝する」。

 

メーカー、IT企業を担当する記者。

「IT企業はPR下手な会社が多いので、PR代理店を利用したほうがいい。PRノウハウのない会社が広報活動はできないのだから、予算にもよるが、効率よく対応してくれるPR代理店を選んで、認知度をあげたほうがいい」と、PR代理店の活用を推している。

 

ITメディアの副編集長のコメントはこうだ。

「クライアントのビジネスを理解していない担当者がいる。クライアントに代わって、製品、サービスの説明をするものの、質問にまったく答えられないケースもあった。しっかり準備をしておくべきだし、クライアントに失礼である」。

さらに面白いケースを披露してくれた。

「PR会社からパソコン、IT担当の記者の方をお願いします、という問い合わせがあり、『全員です』と返答したことがある。呆気にとられた。ITの記事を扱っているメディアに向かって、パソコン、IT担当の記者をお願いしますはない。クライアント、メディアに関してきちんと把握してから、連絡してほしい」。

 

もう一人、ITメディアの記者から。

「記者の担当分野を調べずに情報を提供されることがある。かたや、メディアの特性、記者の傾向を把握して、タイムリーな情報をしてくる担当者もいる。さまざまである。PR代理店のおかけで、新しい世界に触れられたりするので、ありがたいと思っている」。

 

最後にIT企業の広報課長の話しを。

「大手のIT企業は別だが、上場したばかりの企業や中小企業は広報のことがわかってないので、PR代理店を使うか、経験者を採用するなどしたほうがいい。共同でプレスリリースをしたことがあるが、先方の若い広報担当者は、プレスリリースの配信が広報の仕事と思っており、他に何をすべきか、まったくわかっていなかった」。

 

何人かの記者から共通の提案があった。纏めると、こうなる。

IT業界は記者発表会が多いので、できれば、同じ日時に開くのは避けてほしい。難しいとは思うが、PR会社にうまく調整してもらえると助かる。

メディアに自己規制はあるのか

「クライアントの意見・意向が強く働くきらいがあるので、大手の広告主への取材は、やりずらいものがある」。こう語る記者は、メディアの自己規制を渋々、認めている。

「悔しいですが、不祥事が起きても、大手広告主には手だしできません。会社からの指示で、自己規制せざるを得ない。広告部から止めてほしいとのプレッシャーがかかるケースもある。面倒なので、わざわざ切り込まない」と。

 

社会インフラ系の業界紙にいた記者の場合はこうだ。

「業界を応援する、という位置づけのメディアなので、批判的なことは一切、書かないし、書けない。広告主はもちろん、役所に対するネガティブな内容はご法度。取材先から原稿の確認を求められれば、提示していた。当然、ジャーナリズムは求められていない。情報提供としてのメディアです」。

記事広告と編集記事の差が、ほとんどなかったとのことだ。

 

広告主に囚われず、果敢に挑むメディアもある。

企業不祥事やスキャンダルを取り上げるメディアでの経験がある記者は、メディアの自己規制をどう見ているのか。

「仕方ない、という考えもあるが、自らの首を絞めているのではないか。つまり、メディアとして伝えるべき情報があるのに報道しない。自分たちの立ち位置をおかしくしている。『お金をだしておけば、あのメディアには何も悪いことは書かれない』と思われたら、最悪である」。

メディアが広告で成り立っているのはわかるとしながらも、自己規制すべきではないと強調する。

同氏がいた当時のメディアでは、クライアントの不祥事を掲載する際は、発売前にクラアイアントに対し「こういう記事が出ます」と、事前に伝えていたそうだ。先方からは特にクレームはなかったという。

 

自己規制とは離れるが、週刊誌の経済担当記者から、自身のこんなエピソードを聞いた。

「某大手メーカーの特集記事を組んでいた。無事、原稿も書き上げ、校了も終わり、いざ発売の段になったら、特集記事のタイトルが変わっていた。ネガティブな印象を与えるものになっていた。発売と同時に同社の広報担当者からクレームの電話が入り、私はしばらく同社への出入りが禁止になりました」。

タイトルは編集長の独断で変更された。理由はインパクトを与えたかったからだそうだ。しかし、気の毒なのはA氏である。同社の広報担当者の協力もあり、いい取材ができたのに、蓋を開けたら、とんでもないことになっていたのだから。

 

先月、NHKテレビで、マイケル・サンデル教授の白熱教室「公共放送の未来を考えよう」、という番組が放送されていた。NHKおよび海外公共メディアの制作者による討論会。番組中、サンデル氏が「公共メディアは 自己(自主?)規制すべきか」という問いに対し、全員が「NO」と回答していた。

 

公共メディアと民間メディアの違い。

一般メディアと業界メディアの差。

ジャーナリズムを標榜するメディアとそうでないメディア。

メディアによって使命も違えば、立ち位置も変わる。

Webメディアは紙メディアよりも格下か

「Webメディアはいつでも直しができる、と思われている。癪だな、と感じるときがある」。

こう語るのは、紙とWebの両メディアに10年ずつ携わってきたT副編集長である。

 

なぜか。

「先日も、企業の取材をし、記事をWebに掲載した。数日後、広報担当者から電話がはいり、

修正のお願いがあった。社内で合意のとれていない情報を提供し、それが記事に掲載されてしまったので、削除してほしいとの要望でした。結局、広報担当者がわざわざ編集部を訪れ、頭を下げての謝罪、懇願となった」。

 

明らかに、非は企業側にある。しかし、間違いは間違いである。だが、T氏は腑に落ちない。

 

「Webメディア側の問題なのかもしれないが、はい、はい、と二つ返事で修正しまうのは、メディアとしての一貫性という意味ではどうなのか。誤った情報を載せるつもりはないが、なぜミスをしたのか、そのプロセスの検証がごっそり抜け落ちている」と、安易に修正を受け入れることに疑問を投げかける。

 

確かにこのケースは、T氏側に落ち度がないにも関わらず、原因が検証されず、理由が読者にも公開されず、記事だけが修正された。T氏としては当然、納得がいかない。

 

半ば呆れ顔で、別のケースを話す。

「あの記事はなかったことにしてほしい。そういって、記事の取り下げを打診してきた会社があった。訳を尋ねると、発表した製品の出荷が間に合わない、というものだった」と。さらに問いただしたところ、社内で出荷日の合意が取れていないまま、こちらのミスで、情報を開示してしまった、との説明であった。

 

紙のメディアでは、こうはいかない。

「紙のメディアで訂正となると、大騒ぎです」。

「Webメディアは、紙メディアより格下に見られている気がする。紙があって、その下にWebと」。

悲観的なT氏である。

 

T氏の気持ちがわかる記者や編集者は、他にもいるのだろうか。

 

広報担当者はどう、この問いかけを受け止めるか。

 

あるいは‘簡単に修正できて、便利になった’という程度の話しか。

 

難題である。