記事のクレーム

メディアにもよるが、原則、被取材者は記事を確認・修正できない、と思ったほうがいい。それを前提でインタビューをうけないと後日、トラブルが生じる場合もある。原稿の確認ができないのであれば、取材を断る企業もある。

理由は簡単で、事実に間違いがないかを確認するだけ、と広報担当は言うが、記事の確認を拒否するメディアは多い。編集権の独立性を守るためである。

 

キャリア9年の記者が、数年前、自身に起きた記事へのクレームをこう振り返る。

 

「異業種に進出するというので、トップインタビューをした。数日後、原稿を確認したいという打診がありました。嫌な予感がしたのですが、事前に見られないのであれば掲載は止めてほしい、という話になり、渋々、見せました。案の定、強い調子で変更を迫ってきましたよ」。

 

広報担当曰く

「確かにこう発言したが、そういう意味で言ったのではない」。

「こういう内容が発表されると、業界での当社の立ち位置が悪くなる」。

「社長はそのような意図で喋ったわけではない。本人も断言している」。

 

翌日、必要以上に手のはいった原稿が戻ってくる。好き放題に赤字をいれてきた。さすがに腹に据えかね、「こんなことは喋っていません。変更は無理です」と、

電話越でドンパチやったそうだ。

 

新春インタビューということもあり、原稿を没にはできず、妥協してどうにか鞘を収めた。不信感だけが残り、その後、同社を取材していないとういう。後味の悪い結末である。

 

同氏ほどではないが、やはりクレームを受けた女性記者の話である。

何度か取材をしたことのある企業だが、たまたまネガティブな出来事を、続けて報道した。記事を見た知り合いの広報担当者から電話がかかってきた。

 

「確かに内容は正しいが、あのような見出しをつけるのですか。わかっているなら、あらかじめ教えてほしかった」と告げられた。内容の変更などは求められなかったが、「どうして」という疑問が残った。

 

「こちらはきちんと取材をしており、先方の広報にも事実を確認していたので手落ちはなかった。上から、釘をさすようにプレッシャーをかけられたのだと思いますよ。サラリーマンですから従わざるをえないでしょう」と女性記者。

 

上司からは「社会的に影響力のある記事だから先方も驚いたのだろう。悪いとこはなにひとつない。気にすることはない」と励まされたそうだ。

 

後日、広報担当者と顔を合わせる機会があったが、この件に触れることはなかった。

 

きちんと事実を知らせてくれるメディア。

 

提灯記事ばかりのメディア。

 

どちらが良質なメディアか。

 

会社にとって。社会にとって。

トップと広報担当

トップと広報担当者の関係は難しい。

ワンマン社長であればなおさらのことだ。

「社長にインタビューした原稿の確認を、記者から頼まれることがある。うちは社長に見せませんよ。一度、確認を頼んだら、赤字だらけで戻ってきました。記者に返したら、

『お宅の社長はどうなってるんだ。インタビューで話した内容と違うじゃないか』と、怒り心頭でした」。銀行の広報課長の話である。

 

7年間、IT企業2社で広報業務に就いているA氏が、前職の社長の印象をこう話す。

「非常に気難しい、こだわりの強い人でした。プレスリリース1本を仕上げるのに、社長と10回以上のやりとりをしていました。早くて一週間、ひどいときは一か月もかかりました」。

社外へのメッセージに異常に神経を遣い、形容詞ひとつにも執着していたという。

 

プレスリリース同様、自社に関する報道にも目を光らせる。配信したプレスリリースが記事になることがある。社長が書いて欲しい内容が記載されていないと「この記事はどういうことだ」と、幾度となく社長室に呼び出された。反論はおろか説明も弁解も許される雰囲気ではなかったそうだ。「謝るしかなかった」と、A氏。記者の判断で記事がかかれることを認識しいていないのか。明らかに記事と広告を混同している。

この程度は序の口である。記者発表会で想定外の質問や、気に障る質問が飛び出し、発表会の終了後に叱られたことがある。

「どうして質問内容を、事前に、記者にネゴしないんだ」。

以来、A氏は発表会の前に必ず、電話で記者に打診するようになった。

「こういう発表ですので、できましたら、こういった質問をお願いします」と。

一事が万事である。決算発表会の2週間前くらいからは、発表資料の作成で連日、最終電車での帰宅となり、徹夜仕事もあったという。

 

こういった社長の下で働くには、心身ともに相当タフでないとやりきれない。広報担当者の在職期間は長くて2年、短いと1年以内で会社を離れていった。しかしA氏は、4年間も在籍していた。

「他社の広報担当者と話をしていても、私はかなり特殊な会社にいる、という思いでした。ただ、目的もあり、社長は、根は悪い人ではなかったので・・・・」と理由を説明する。

もう10年以上も前だが、化学メーカーの広報担当役員が、広報担当者の役割をこう説いていた。

「広報担当とは、半身は会社に身を置き、半身は世の中に身を置く。社会の常識と会社の常識を照らし合わす。バランスが大切です。ここぞという時には、トップに苦言を呈する覚悟が必要です」。

 

「裸の王様」と言える勇気があるか。

記者とプレスリリース

「昔は各社とも製品やソリューションが少なく、世の中に訴えるメッセージも非常にシンプルでわかりやすかった。いまは製品やサービスも増え、十分に消化しきれないまま、メディアに情報を投げかけている印象がある」。

20年以上にわたってIT業界を取材し続けているIT系メディアの編集長・K氏はこう語る。

 

では、企業が発信するプレスリリース、K氏にはどう映っているのか。

「プレスリリースを隅から隅まで読んでも何を言いたいのかわからない。この手のプレスリリースが外資系のIT企業で比較的、目にすることが多い。結局、本国の英文リリースに当ってみると理解できる、ということがある。日本法人の役割はなんなのか、と思いますね」と、手厳しい。

外資系の場合、本国できちんとリリースが作られ、日本サイドは翻訳するのみで、ほとんど手を加えることはない。翻訳者の力量にもよるが、確かにわかりにくいものが多い。

 

「読んでいて疲れるのは、単に‘あれもできる’‘これもできる’‘これに対応した’など、やたら機能を羅列したものです。確かに事実を書いているが、製品・サービスをだす理由、どんな問題を解決してくれるか、といった本質的な点がスッポリぬけている」。この種のプレスリリースが取り上げられる可能性は低い、とK氏は指摘する。

 

さらに「エンドースをずらずら並べたものがあるが、プレスリリースの本質からしたら必要ない。メディアにとって意味はない」と、にべも無い。ある新聞記者は「コメントが必要であれば、電話取材で直接、聞き取ります。エンドースなんてまったく必要ないですね」と、批判的である。

 

メディアには1日に数百本というプレスリリースが送られてくる。限られた時間内で目を通すわけで、自ずとすべてのリリースは見ない。いかに、記者に興味をもたせるか。そこが広報担当者の腕の見せ所である。どうしたら、プレスリリースを読むのか。

「プレスリリースをざっと見るときに、発信元、会社名を確認して、広報担当者の顔が思い浮かぶと、読みますね」とは、K氏の弁。日々のメディアリレーションの重要性に気づかされる言葉である。

 

プレスリリースを書くとき、配信するとき、広報担当者は記者の顔を思い浮かべることがあるだろうか。

マーケティングとは何か。

マーケティングとは何か。この問いに答えることは簡単ではない。

企業のマーケティング部門に勤務する方々ですら、マーケティングとは?と聞かれれば、販促や、Webサイト作成のイメージをお持ちの方も多いだろう。

 

マーケティングの第一人者と言われる、フィリップ・コトラーは、マーケティングを

「マーケティングとは,価値を創造し,提供し,他の人々と交換することを通じて,個人や組織が必要(ニーズ)とし欲求(ウォンツ)を満たすことを意図する社会的,経営的活動である」

と定義している。

 

また、「マネジメントの父」と言われるピーター・ドラッカーは、マーケティングを

「顧客からスタートすること」と定義する。

 

いずれの定義も「販促活動」ではない。彼らの共通する主張は、いずれも「顧客」を把握し、そこからマーケットへ向かう、という極めて当たり前の活動を述べていることだ。

ピーター・ドラッカーは、これについてもう少し深く考察しており、

「企業の目的は、2つしか無い。マーケティングと、イノベーションである。その他の活動は、全てコストである」と言い切っている。

 

つまり、企業にとってマーケティングは根幹の活動であり、もっとも重視すべき活動の一つということだ。

 

PRや、広告は「マーケティング」ではない。

マーケティングに必要な活動の一つ、とでも位置づけておいたほうが良いものである。

PRと広告のちがいについて

PRと広告、何が異なるのか、と言うお話をよくクライアントの方からいただく。

たしかに両者ともにメディアに掲載される、ということではあるし、厳密なちがいは分かりにくいので、こちらでちがいについて触れておきたい。

 

まず広告から説明する。

広告はメディアに対して、「広告料」を支払って、媒体の一部を一時的に借りる行為である。

お金を支払っているのだから、基本的に広告の中身はこちらで決めることができるし、構成なども自由である。要は、「こちらの言いたいこと」をメディアに載せるための手段である。

ただし、デメリットもある。あまりにも日常に広告が多すぎるので、ほとんどの広告は無視されてしまう、という点だ。

ウェブ広告などはどの程度の人が興味を持ってもらったかがわかるが、100人に1人でも見てもらえれば万々歳と言っても良い。

従って、広告は単発では意味がなく、打ち続けなければならない。よって、コストが非常にかかる。

 

PRとは、パブリック・リレーションズの略である。これだと意味が分かりにくいが、要はメディアとの関係を良好、密接に保つことにより、メディアに「記事として」自社のサービスなどを取り上げてもらう活動である。

一般的には掲載に費用がかかるわけではなく、メディアの取材に応じたり、リリースを出すことができれば無料でメディアに掲載される。

もちろん、「記事」として掲載されるのではるかに広告より信用が高く、注目度も高い。

ただし、こちらにもデメリットがないわけではない。記事は基本的にメディアの記者が作成するが、こちらは記事の内容に口を出すことは出来ない。たとえネガティブな情報であってもである。

したがって、必ずしもこちらの言いたいことを代弁してくれるわけではないし、また、よほど名のある会社や、内容として新規性があるなどの特徴がなければ、まず取り上げてもらえない。

 

ちなみに、「記事広告」という分野があるが、これは記事と広告の中間、と言うよりは、「記事と見せかけた広告」であり、PRとは別物である。むしろ広告の一形態、と言っても良い。

 

広告も、PRも、メリット共にデメリットも有る。

両輪で自社のマーケティングに役立てる。そういった姿勢で臨むのが良いのだろう。

広報活動の目的は営業 メディアを通じて認知度をあげていく

「広報活動の一番の目的は営業です」。

ITを駆使してマーケティングサービスを提供するベンチャー企業の代表を務めるT氏は、こう語る。

 

報道機関(以下メディア)に取り上げてもらうことで、問い合わせを増やす。T氏の会社のように認知度の低い企業がビジネスを広げていくには、メディアを通じて世の中に知らしめる必要がある。

 

「広告で伝えるのと、記事で言うのでは、クオリティーが違う。客観的な記事のほうが問い合わせは多い」と、T氏はメディアの存在意義を強調する。記者が自らの判断で書きあげた記事の信憑性・信頼性は、読者への説得力が広告以上に高い、ということだ。

 

広報と広告の違いは以前から言われているが、白か黒かといった議論ではなく、あくまでも、目的に応じて使い方が異なるだけである。ただ、口コミ情報がこれだけ拡散する時代になると、広告の説得力が以前より見劣りしてしまうのは致し方ないところであり、広報に力を入れる企業が増えるのも必然だ。

 

実際、数ヶ月まえ、T氏の会社は新サービスを発表、PR代理店を使って広報活動を行っている。目的はメディアへのオリジナル記事の掲載である。数多くのIT系ネットメディアに取り上げられ、期待以上の効果を得たという。報道された直後から、連日、電話やメールの問い合わせに追われ、相手先に訪問することもあり、大手IT企業との契約もとれた。

 

なぜ、これほどまでの成果がでたのか。T氏の話をまとめると、主要な施策は以下のとおり。

目的を明確にし、記事獲得をコミットできるPR代理店を選定
一部メディアに、プレスリリースの配信前に、こういった内容の発表をする旨を伝える
プレスリリースの配信後、記者にフォローの電話をいれる
個別のインタビューを入れる

言葉にすると簡単に感じられるが、いざ実行となると難しいものがあるだろう。実際にはキメ細かい付帯作業も行っているであろう。

 

私見ではあるが、メディアとの堅いリレーションシップがあったり、提供する情報(この場合は新サービス)のニュース性・鮮度が高かったりさらに、記者から掲載の言質がとれたり、といったものがうまく咬み合わないと、上のような結果は簡単にはでないはずだ。

 

また、広報担当者の力量・素養についてもT氏は触れている。

 

「広報担当者(PR代理店)にはメディア・記者に対する人間力のようなものが必要ではないか。言い方をかえると、記者とのコミュニケーションには相手に対する心遣いとか、フォローあるいはお礼といった、日本的なやりとりが大切になる。電話とメールだけのコミュニケーションではダメですね」。

 

メディアリレーションを築く上で、T氏の言っていることは至極、当然のことである。しかし、意外とこの当たり前のことができない。